一次が始まり・・・
国技館に着いて席を見渡すと去年と違って席に何も置いてなかった。自分の世界観や好きなものを受験の絵に出せる時は例え少しでものめり込んで描く事ができる。イメージ課題はそれを出せやすい。不安な中、少し嬉しくなった。二次対策中は一次が通っているとは思わなかったから今までみたいに固くならずに描けた。感覚的に描いていたら楽しんでいた。あ、こういうことなの?みたいな感じで、自分が描く内容に、絵の自由さに、そう言う意味で初めてのめり込んだ。受験に疲れ切った中、これをまだ描いてみたいと思った。
三日間
動物園は楽しいものの、うきうきするのは余裕のある時だけで、三日間、時間がなくて結構必死だった。爬虫類図鑑を見たり、軽く描いたり明日の時間配分をしたりした。絶望的な気分で傘や雨具をパレットや荷物に掛けていたら、自分を纏うものはタオル一枚になってしまった。キャリーにキャンバスをたて、かがんで描いた。とにかく夢中で描いた。かじんだ手で濡れたタオルを頭からつまみ取り、コートにかけてあった雨具を被り、トイレに行き再度スタートした・・・。
受験
現役の時ゆるんだ気持ちで受けたらあっさり落ちた。小さな画面、規定された短い時間の受験の絵でも、大切なのは技術じゃなかった。私は浪人が決まり、この一年は絵に対して充実した年にしよう、悔いのない年にしようと思った。しかし慎重になり過ぎて間違いもたくさん侵した。しっかり描写と思い、感覚的にはここはしめないで!と感じているのに、描き過ぎて画面がかちかちになってしまったり。また、受験の絵に対してかなり割り切っていたと思う。この大きさの中でどれくらい魅力が出せるか、この時間内にどのくらい見せ所ができるか。受験の絵の中でピンとくるのを描いていた。私はどうしても自分の世界や描きたいものと、受験の絵は別に考えてしまった。というより求めるものや内容が違い過ぎた気がする。だから自然と割り切っていた。私は両方うまく融合できる程器用ではないのだ。ただ両方大事にしていこう、楽しく、その中でもやりたい事を見つけていこうと思った。が、そんな自分が嫌な時が沢山あった。自分にとっての絵ってこう割り切っていいものなのか。しかし我慢してしまった。はみ出し切れない分家でやりたい世界をかきなぐって頭の中を整理した。立美での絵にも息詰まった。いかにもな自分の絵を見て恥ずかしくなった。こだわりもいつしか守りになり、気分転換も逃げに変わった。全てが嫌になった。
きっかけ
こういうやり方で間違った事も正しい事もあった。私って何が伝えたくて何がやりたいのかと考えた。しかし、ひょんなことから両方表す事ができたりして、なんかピンと来なくなっていた世界観の方も立美で描いた絵により、じっくり変われて嬉しかったことも。
絵って・・・
絵って好きだけど難しい。悲しい事やショックな事があれば絵も泣いたように元気がなくなり、のんびりした時には絵にも安定感が感じられ…まるで生きたもの、自分自身のようになる。それだけにコントロールは難しく、自分の事がわからないように絵にも断定できないことが沢山ある。素敵な事を発見し、自分の思いを吹き込めば絵は輝き開花する。しかし開花し続ける事はない。開花し、萎み、また別のものとなり開花するのだ。
立美
立美に居た3年間は充実していた。夢中になって通いはじめた基礎科。学校よりもがんばった。夜間部は最高だった。本当に。浪人は辛い事はあったけど、やたら充実していた。すごく濃い1年だった。沢山の人にあった。立美でお世話になった一人一人の先生方に本当に感謝しています。ありがとうございました。本当に。
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