器用でなくてよかった
本当に寒いから。芸大の先端芸術表現科の試験は外で最低40分は待たされる。昨年待たされたから今年は遅めに到着した。だけど、今年も待たされた。「早く入れろよー」と叫んだら、だんだん腹が痛んできた。腹がくだり、僕はトイレに駆け込んだ。予定よりちょっと早いけど、「よしっ」と思った。というのも、前日僕は自分の気持ちに押しつぶされそうだった。試験を受けることもままならない消化しきれない異物が引っかかって取れなかった。小笠原先生からは消化試合のつもりで楽にうけたら?と言われた。そこで僕は、このまま試験を受けたら絶対落ちると確信してのである行動にでた。深夜1時にラーメン屋で激辛ハバネロラーメンを汗だくになりながらスープまで全部飲み干した。その結果、試験が始まる前からお腹はいうことをきかない。試験会場に入ってからも「トイレに行きたい」と試験官にせがんだ。がしかしトイレには行かせてくれなかった。
試験開始まで30分間
ギリギリの状態が続き、試験官に向かって「バカヤロー」と叫んだ。始まりの合図とともに真っ先に手を挙げ、トイレに連行してもらった。トイレから戻るとなにか刑務所のような、工場の流れ作業のような光景が目の前にあった。お腹を摩りながら席に戻り、試験のシステムに乗っかったふりして密かに、勝手に文章と絵を描いた。
7、8回ぐらいトイレにいく中、不審者と思われているところに、また「よしっ」と思った。僕は今まで右往左往して、私大やら音大やらうけたが全部落ちた。いつもやりきれなかった。先端芸術表現科に行こうかな、と思ったのが2年前。今考えれば器用でなくてよかった。器用に絵が描けなくてよかった。器用にストーリーを考えられなくてよかった。自分はなにが大事なのか?音楽を違う表現形態にしたい。そのためには何が必要か?立美でやった最初の課題にそれが一番強く表れていた。それだけが2年間で気付けたことだ。本当に自分でも不器用に思う。最終試験の面接の時、試験官の藤幡さんからこんな質問をされた。「君のポートフォリオを私たちが見て、どういうところを見ていると思う?」この質問だけ唯一言葉に詰まった。まだ自分でも答えることができない。今から正直に向き合って行かなければならない部分である。
大学で今・・・
「本が蠢めく」 俗にいう一般教養があまりない僕は、正直授業でもどかしい時がある。複雑な思考を薄っぺらい紙一枚のような言葉で表してしまう時がある。とても悔しい。
ある教授が「本は読むものではなく、並べるものだ。だから、闇雲に買わなければならない」と言っていた。とりあえず、家にあるのを全部並べて見た。なんて薄っぺらい偏った思考なのだろうと驚愕した。それから本を買っては並べてを繰り返している。本を手に取ったら読まなくても戻せばいい。本棚に戻せば、並び合う本の背に今日の関係性が生まれる。読まなくても、家の中で本が蠢いていることに気付く。それらの時間の蓄積が大事だと思った。
最近やっと本の中身が気になり始めた。辛抱してきたかいがあった。同じ教授が「ある程度理論武装しなければダメだ。」と言っていた。理論武装する必要性などあるのだろうか?しかし、それは「自分の自由を継続し、人の自由を奪わないためにも最低限必要だ」ということなのではないだろうか。表現の主体を形成して行く上でも重要ではないだろうか。なにか美術大学とは関係ない話になってしまったが、そもそも先端芸術表現科にそんな垣根はないと思う。 |