晴、ときどき鶏の声
試験会場に入ると、左右の壁にモチーフがセッティングされており、そのまわりを半円状にイーゼルが囲んでいた。モチーフはないだろうという予想は外れたが、大して動揺はしなかった。画面下八分の一ぐらいを地面、残りを壁。地面と壁というフィールドをうまく使い、自分を表現する、という計画だった僕は、むしろ「ラッキー」、と思った。すぐに構成は思い浮かび、夢中になって描いた。カロリーの多い絵が受かっている、という先生の言葉を思い出し、とにかくたくさん絵具を使うようにした。デッサンは最初の十五分くらいしかしなかったと思う。ときおり、大学が飼っている鶏やくじゃくの鳴き声が聞こえ、夢中に描いてはいるのだけど、のどかな時間だった。試験官は優しそうなおばあさんと、元気ハツラツとした四十過ぎぐらいのおじさんで、試験独特の気持ち悪くなるような緊張感はなかった。
一転して…。
二日目は二時間の学科のあとに鉛筆デッサン。学科の会場は広く、五百人はいたのではないだろうか。その中で僕は一番後ろの席でオレってこんなに運良かったっけ、などと思いながらリラックスして受けることができた。
学科も無事終わり、残すところは三時間の鉛筆デッサンだけだった。これは大失敗に終わったと思った。最後の最後に落とし穴があった。前日に塾で練習はしたものの、三時間という時間はやはり短かった。結局なんとか統一感は出したものの、完成度はまるでなかったと思う。
きっかけは
そもそも、僕が美大受験を決めたのは高2の冬だった。学校で3年の授業の選択科目を決めるような時期で、進路の事を考え始めていた。僕は高2の春までは美大を受験しようなんて気は毛頭なかった。ただ、僕は某ロールプレイングゲームが大好きだった。進路のことを考える内に、こういうゲームをつくる仕事ができたらいいなと思い始めた。美術を目指すきっかけなんてそんなものだった。この世界に踏み込んだ今、僕は色んなことをしてみたい気持ちでいる。
立美に来て
先にも書いたように、僕は高2まで美術の世界とは無縁だった。絵も大してうまくなかったし、画家の名前なんて指で数えられるほどしか知らなかった。そのせいか、周りの人より自分がうまい、と感じたことはなかった。常に周りからは遅れている、という意識が心の中にあった。受験で成功したのは最後までその競争心を失わなかったからかもしれない。 |